Pieces Of Peace

Journal to me in the future

ブクログの bookmarklet だと Kindle 本が本棚に追加できないので直してみた

このブログの読んだ本シリーズは、ブクログに登録してあるデータを引っ張ってきている。きっかけは@kentaro さんのブログの読んだ本をブクログでふりかえるシリーズ1

ブクログは登録データの編集がやりやすくて気に入ってる2のだけれど、唯一残念なのがタイトルにも挙げた「Kindle 本が bookmarklet で登録できない」というところ。ブクログ Kindle ストア対応が2012年10月で以後ずっとできてないっぽいし、Chrome 拡張もあるしでこのままだと対応の望み薄か!?

ということで、重い腰をあげて javascript を眺めてみることに。なお当方、これが初の javascript いじり。

以下、調査経過を含め結構な長文なので、修正した bookmarklet が欲しい方は以下をどうぞ。

ブクログ bookmarklet Kindle 本対応版

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翻訳物を公開するときは著作者に了解をもらおう、という自戒

あるいは、「著作物のライセンスを示すことの重要性」について。

今回の村上春樹氏のケース以外でも、海外のニュース記事やブログ記事などを、気軽に全文引用転載・翻訳して、自分のブログで紹介しているケースをしばしばみかけます。

そのようなケースがすべて、著作権者の許諾を取って実施されているのかどうか、はなはだ心配ですが、どうなのでしょう。
全文翻訳は適法か » 科学と生活のイーハトーヴ


自分の場合、ニュースやブログの記事の翻訳は、元記事の読後に

うぉーー!はげしく同意っ!!

と感じることから始まる。以降、

  1. 読み直しつつ、ザッと訳す
  2. 不明な表現の解明、不自然な日本語の手直しをゴリゴリとやる
  3. 著者に了解をもらう
  4. 誤字脱字をチェック

と進み、著者の方から了解が得られれば晴れて公開、となる。

「やるやる詐欺」は著者に失礼

「最初に許可もらわないの?」

  1. 翻訳開始時に著者に連絡
  2. 訳し始めるもなかなか進まず
  3. 著者から了解もらうも、いつしか意欲が消沈し始め…

結局公開できず、著者に対し申し訳ないことになった苦い経験があるので、最近は訳文の見通しがたってから了解をもらうようにしてる。

了解が得られず、ある程度時間かけた1ものがお蔵入りになるのは残念だけど、それはさっぱり割り切ることにしてる。翻訳の練習だと思えばつらくない!2

自分の文章を利用してくれる人たちのために

冒頭に引用した一文、@pollyanna_y さんのブログからの引用ですが、こういったケースの当事者の頭の中を想像するに、

  1. これは「適切な引用」の範囲ですっ!
  2. みんなやってるし、ネットに公開されてるんだからいいでしょ。
  3. 著者から返事こないから見切り発車しました。
  4. ニュース速報なんだから許諾なんて取ってたら乗り遅れるっ!

とかなのかなぁ、と。で、これを野放しにしちゃうと、原著者が一番損しちゃうんだよな…

ということで、何か文章を書いて公開する際は、ぜひその辺を意識すると良いと思った。自分の文章のライセンスを示そう運動。そうすれば誰かがその文章をなんらかの用途で使いたくなったとき、モニョモニョしなくて済む。

  1. 個人ブログであってもきちっとライセンス表記する
  2. COPYRIGHT all rights reserved 型 (これとかこれとかこれとか)
  3. クリエイティブ・コモンズ・ライセンス型 (yomoyomoさん作成のリスト)
  4. 引用・転載・翻訳のガイドラインを載せておく (これとか)

とりあえず1. のいずれかで始めてみて、不都合があれば2.の方式にすればよさそう。このブログは当面 COPYRIGHT 表記にしておきます。

併せて読みたい

WEBマガジン出版翻訳 岩坂彰の部屋-著作権と印税


  1. だいたい、1000単語の英日訳で10時間くらいかかる気がする

  2. ごめんなさい。実際はつらいです。


【翻訳】任天堂の危機

以下の文章は、John Siracusa さんによる Nintendo in Crisis の日本語訳です。翻訳をご許可いただきありがとうございました。

The following is the Japanese translation of Nintendo in Crisis by John Siracusa. Thank you Mr. Siracura, for letting me translate his writing.


任天堂の危機

Apple が絶体絶命だった16年前、その苦境を Apple 自ら打破するための案が、特に Apple 製品のファンたちによって、やまほど挙げられた。この思いを理解してくれる読者が何人もいるに違いないと信じた狂信的な Apple 信者によって、 Wired 誌1997年6月号象徴的な表紙 “Pray” が作られたりもした。十年後、Apple のことで気をもみながら90年代を過ごした私たちはようやっと胸を撫で下ろすことができた。同時に、Apple が新たに手にした力について少し落ち着かない気分にもなったりした。それくらい、ひどいアップダウンの連続だったのだ。

同じような愛着と信頼を、任天堂も得ている。Apple のように、任天堂もまた、失敗とそれに続く過去に例を見ないほどの大成功を経験している。とはいえ、任天堂の低調期は、Apple ほどひどくはなかった。Nintendo 64GameCube は、PlayStationPlayStation 2 に打ち負かされはしたが、当時倒産寸前、というわけではなかったし、自ら苦境を打破するために他社を買収する必要もなかった。

ところが今や、状況は逆転したようだ。Apple はスランプに陥りかけている(という解説ある)が、とはいえそれは、関係者の期待が噛み合わなくなりつつあるだけ、とも言える。Apple 製品はいまだ需要も高く、実によく売れている。一方の任天堂だが、最新ゲーム機の失敗は過去に例を見ないほどの規模になっている。また、業界関係者によれば苦境はそれだけにとどまらず、任天堂最大の問題は携帯ゲーム機市場にこそあるらしい

予想はしていたが、「成功を収め、かつ努力し続ける任天堂」が存在しない世界など考えられないという人たちは、任天堂を苦境から救うための真摯な提案 をせずにはいられないようだ。同じような衝動を抱いたので、ここ数か月五里霧中状態の Mavericks のレビュー書きから抜け出し、私自身の考えを記しておこうと思う。

シュレーディンガーのゲーム機

まず、任天堂が問題を抱えているという意見には私も賛成だ。ただ、解決策を模索する前に、より本質的な疑問、それを 救える のだろうか?、ということを問わずにはいられない。救いようはなくて、もはや時間の問題だ、という人もいるようだが、突き詰めればこういうことだと思う。つまり、「ゲームをするためだけに設計された機器」の市場が存在する限り、任天堂が活路を見出すチャンスはある、ということだ。

もし、そのような市場がなくなっていくのなら、最悪のケースを想定せざるをえない。長期間用いられる 汎用的な ソフトウェアのプラットフォームを作り出し維持していくための準備が、任天堂にはできていない。知ってのとおり、Microsoft、Apple、Google と、ごく一部の限られた企業だけが、それを成し得てきた。任天堂がそれら企業の仲間入りをするとは到底思えない。

ゲーム専用(もしくは主たる用途がゲーム)の機器の市場はまだあるはずだ。それが今後どれだけ続いていくのかは分からないが、最悪でも、各社の次世代ゲーム機の売り上げが現状維持に事足りる程度には続いていくに違いない。

この仮定が正しいとしたら、不調の渦に陥った自らを救い出すのに必要な手立てを、任天堂はもう持っている。それは一体何かって?任天堂がこれまでどうやってきたかを振り返ればいい。ハードウェアとソフトウェアが一体となって、斬新で楽しい体験を提供する、ということだ。

任天堂流勝利の方程式

任天堂にとって、テレビゲーム初の大成功といえばファミコンだ。1980年代のアタリショック以降、家庭用ゲーム機器ソフトだけでは任天堂が成功を収めるのは難しくなった。パソコンはまだ高価で普及するのはずっと先の話だったし、Atari-2600 のようなゲーム機を出そうとすれば懐疑的な意見が集中するだろうことも明らかだった。

そんななかで任天堂がうまくやるには、ハードとソフトの両方が必要だった。Atari のようなゲーム機はもちろん、ロボットとか?そう、それに加えて光線銃 も。ほとんどのゲームがこれら周辺機器を採用しなかったけど、ファミコン発売当初、これらが宣伝用途で繰り返し取り上げられたであろうことは疑いの余地がない。それらはただの飾りで、用をなすものではなかった。ただただ、ファミコンを各家庭に置いてもらうためだけに存在していた。家庭にさえ入ってしまえば、あとはチビでヒゲヅラの配管工を装った侵入者が怪獣の腹から飛び出し、歴戦のゲーマーたちをファミコンの虜にしてくれたからだ。

次に、話は変わって、任天堂初の 3D ゲーム機、Nintendo 64 について述べておきたい。すでに、セガサターンPlayStation が何年も前に発売されていたし、それらはカセットの代わりに CD を用いるという良い判断をしていた。当時の市場シェアは PlayStation が圧倒的であったけど、スーパーマリオ64Nintendo64コントローラーという強力な組み合わせで3D ゲームの分野に変革をもたらしたのは任天堂だった。ハードとソフトを見事に融合させ、それを現実にしてみせたのだ。

スーパーマリオ64は、優れた 3D ゲームのお手本となった。それは、Nintendo64 というゲーム機そのものの残念な結末を変えることは出来なかったけれど、ゲームソフトの発展に大きな一歩を残した。また、 任天堂が生きながらえたのは、まさにそれのおかげだったかもしれない。今日、アナログスティックのない 3D 用ゲームシステムを発売するのはあまりに馬鹿げた話だけど、1994年当時のセガとソニーは、まさにそれをやってしまった。Nintendo64 発表後、ほどなくしてサターンPlayStation にもアナログスティックが搭載された。後者などは、既存のコントローラーにとってつけたような仕上がりだった。なんてその場しのぎ!?(いやいや…)

そして、ようやっと Wii の登場だ。任天堂はゲーム機の性能を犠牲に斬新な操作方法と低価格を実現し、それらが生み出すメリットを知らしめるためのソフトも出した。過去の2機種でソニーに辛酸を嘗めさせられた任天堂が、ついにゲーム機市場トップの座を自らの手で取り戻したのだ。

ここに挙げたような実例は、任天堂がハードとソフトの両方を手がけていない限り、そのどれをとっても実現不可能なものばかりだ。歴代ゲーム機売り上げランキングトップ3のうちの2つであるゲームボーイDS については改めて説明するまでもない。ともかく、ハードとソフトのシナジーがなければ実現し得ないことだ。そしてそれこそが、任天堂流勝利の方程式だと言えよう。

レッドオーシャン

最近目にする任天堂への助言をひと通り読んでみたが、それらの大半は、携帯ゲーム機市場を iOS が席巻しつつある状況で如何に生き残るかを論じていた。これらのアドバイスを前回の任天堂の低調期に当てはめるとどうなったのかな、と思う。任天堂は iOS 向けゲームを作るべきだ、という声もある。勝てないなら仲間に入れてもらえ、ってね。

ゲームキューブが寿命を迎えようとしてたころには、ソニーはゲーム機とソフトの両方で過去十年に渡り、任天堂をはるかに凌ぐ実績をあげてきた。当時圧倒的シェアだったソニーのゲーム機向けに、任天堂もゲームソフトを作るべきだったのだろうか?そうすることで、Wii のような成功を任天堂は成し得ただろうか?そうは思わない。ゲームソフトだけでは、あのレベルの成功は達成し得ない。

ゲームソフト事業はとても厳しいものだ。当たるも八卦当たらぬも八卦、まさにハリウッドのよう。大半のゲームは赤字かトントンで終わる。恵まれていれば、数少ない大ヒットで残り全てを支えていくことになる。そうでなければ、前評判が高かったゲームを発売したゲーム制作会社がほどなくして倒産するはめになる。実際、そんなケースもないわけではない。(そう、 去年発売された最高のゲームのせいで 同ゲームの開発者は倒産するはめになった。)

合併や統合はゲーム開発界隈に当たり前になってしまっている。上述したような「数少ない大ヒットで残り全てを支える」ことが可能な超巨大企業が、小規模な開発者たちを日常的に吸収している。

そんな世界に、任天堂は自ら進んで入っていくべきじゃない。自ら生み出したゲーム機を離さず、その売り上げと、各社が作ってくれるゲームソフトの売り上げ手数料で利益をあげるべきだ。次のヒットのための「産みの苦しみ」期間に任天堂が入っているうちは、そういった手堅い売り上げ(それですら膨大かもしれないけれど)こそが自らを救うことになるのだから。

任天堂がしてくれないこと、iOS が引き受けますよ

自らの強みを忘れず、かつゲーム専用機の市場が存在し続けるとしても、任天堂が挑むべき課題は困難なものが多い。ゲームシステムそのものとしては iOS と競い合う必要はないとはいえ、やはりゲームに関係する部分では最低限遅れを取らずについていかなければならないわけだから。

今現在、ソフトの購入、インストール、使い回しのよさの点において、Apple は任天堂の遥か先を行っている。パソコン用ゲーム配信の仕組みである Steam にですら、任天堂のオンラインビジネスの取り組みは全く及ばない。自分で買った任天堂のゲームが、特定のゲーム機でしか使えないのにはうんざりだ。購入したソフトは、今後買うであろう次世代の任天堂ゲーム機でも簡単に使えるべきだ。任天堂のこれまでのゲームで遊ぶもっとも簡単な方法が違法なエミュレーター(唯一の方法かも。)であってはいけない。任天堂はこの辺りの事情を速やかに、うんと改善しないといけない。

販売チャネルの強さという点でも、Apple は上回っている。2人のチームがゲームを作って販売するような場合、任天堂のゲーム機向けよりも iOS 向けの方がはるかに容易だ。膨大な資金を要し、ルールも多く、制限された開発環境では、今どきのゲーム開発者は寄り付かない。任天堂は目を覚まし、App Store をじっくりと観察しなければならない。

Let’s-a-Go!

任天堂がその神がかり的な力を取り戻すには、多くのピースがうまくはまらないといけない。もう一度強調しておこう。「もし、ゲーム専用機市場がなくなったら、周知のとおりそれは任天堂にとってゲームオーバーに他ならない」。

けれど、もしゲーム専用機(携帯ゲーム機かどうかに関わらず)の出番がまだなくならないのだとしたら、任天堂がやるべきことはやまほどある。ゲーム絡みで iOS の方が得意としてることは、なんでも改善していかないといけない。自身のゲーム機を引き立てるようなソフトを作り出さないといけないし、それができないなら新しいゲーム機を作り出さないといけない。

それ以外の方向へ持っていこうとする「助言」は全てインチキだ。最大の持ち味を奪うような任天堂救済プランなんて、何の意味もない。任天堂は、自らが最も得意とすることに集中しないといけない。ハードとソフト、最高の組み合わせを生み出す、ということだ。これまで任天堂を救ってきたのはまさにそれだし、それのみが今後の任天堂を強く確かにしていくのだから。


初出公開: 2013年09月05日、 最終更新日: 2013年09月05日


2013年8月に読んだ本

先月は漫画が多かったなぁ。あと、月末になってから池波正太郎さんの小説をがつがつと読んでいますが、これは先日の Kindle ストア30%ポイント還元祭りの際にまとめ買いしたもの。スキマ時間に読み始めたら止まらなくなり、まさにガツガツ読んでしまいました。池波小説の中毒性の高さは言わずもがなですが、Kindle の利便性が上乗せされるともういけないですね。やめられなくなっちゃう。

その他では、家族が書いた文章を出版物として読む機会を得ました。研究分野、対象については直接聞いていたし、読後の感想も親族のひいき目であることは違いないのですが、本という体裁をとるとやはり感慨深いものですね。戦争に至る過程についての新たな視点も提示されていて、目からウロコでもありました。

harupongさんの本棚 - 2013年08月 (11作品)
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さて、今月は何を読もうかなぁ。


33歳、プログラミング始めてます

やろうと思った時が始め時だと思うので 34歳、今日からプログラミングを始めます : 941::Tech

同じように思い立ってから一年ほど、プログラミングの勉強をしている。時間の割に進捗がしょんぼり、かつ寄り道回り道しまくり。

とはいえ、最近はようやっとやりたいことがみつかり方向性が定まってきたので、

  1. Vagrant入門 (全13回) - プログラミングならドットインストールを参考に Linux な開発環境を Windows な ThinkPad 上に作り、
  2. Sinatra入門 (全17回) - プログラミングならドットインストールを参考に Ruby と Sinatra で Web アプリを作り、
  3. それを改変して体重記録用 Web アプリを作って Git でバージョン管理し、
  4. できたアプリを Heroku にデプロイした。
  5. コピペばかりじゃイカンッ!とパーフェクトRuby (PERFECT SERIES 6)を購入するも、
  6. 手を動かさないと寝てしまうzzz なので、「15章 コマンドラインアプリケーション開発」「16章 Webアプリケーション開発」を写経し、 ← イマココ!!

というところまで来ている。これが終わったら、次は写経中に浮かんだ疑問を潰していくつもり。

進捗の情けなさにめげないために

一児の父として、

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Nexus 7(2013) はライバルの新機種が出揃うまで買わない

出たら買いたいと思っていた Nexus 7(2013) 、ようやっと円建ての価格が発表されたので次のアクションを考えてみる。

まず結論: 今すぐは買わない

  • Nexus 7(2013) の割高感が強いのは円安のせい
  • 競合の新機種に対抗して、Nexus 7 は発表4か月後に20%値下げされた
  • 初期価格が前機種と比べて20~50ドルも高いの、値下げのためのバッファじゃね?

ということで、Amazon と Apple の7インチタブレット新機種が出るまでは Nexus 7(2013) には飛びつかないことにする。

競合他者の新製品事情

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悪意の有無は無意味

Original: The Intentionality of Evil

[ English | 中文 | Deutsch ]

僕らは子どもの頃から、勇者が悪者から地球を救うストーリーの漫画(最近は、そんな漫画を元にした映画もよくある)を与えられて育ってきている。そのせいで、僕らが善と悪を白黒はっきり区別しすぎてしまう傾向があるってことは、もはや社会通念と言ってもいいくらいだ。世界はもっとあいまいなんだよ、と上から目線で諭されたりするわけで。けど、そんな漫画が持つ問題の本質はそこじゃない。問題は、漫画上の悪者は自分たちのことを悪者と認識してる、という設定にこそある。

それもあって、人々は「悪者は意図して悪事をはたらくんだ」と思い込んで成長していく。けど、それって全然現実的じゃない。意図して悪者になることが不可能なのかもしれないし、自分は善だと思い込む方が簡単で楽なのかもしれないけれど、ともかく、悪事をはたらいている、と意識してる人なんていない。悪者たちはみな、自分たちがやっていることが善なんだという根拠を胸に抱いている。みんな、自分は善だと思ってる。

そしてそれがもし事実なら、意図なんてものはどうでもよくなる。ウォール・ストリートの金融屋たちが「自分たちの仕事が貧困を解決するに違いない」とか信じて自分の仕事をやりました、なんて言ったところで何の弁明にもならない(最近、そんな話あったよね)。理由はもちろん、皆がそんな風に「自分の仕事をやりました」って思ってるから。Eichmannだって「自分の仕事をやりました」って考えてた。

こういった命題について、Eichmannほどぴったりな例はない。なんといっても、この類の話ではいつもHannah Arendtの本 Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil が決まって引き合いに出されるし。また、世のテロリストや殺人鬼の例に漏れず、Eichmannは世の中の常識と照らしあわせても真っ当・健全だったし、自ら理にかなってると考えたことを実行していたのだから。

そして、そんな真っ当な男がなし得るのだから、僕らだって同じようにできるはず。もちろん、彼らと僕ら、どっちがひどいか比べてみてもいいけど、僕らが責任を負うべきは自らの行動なのだから、そんな比較は無意味だ。少し考えれば、僕らが犯してきた世にも恐ろしい悪事の数々なんていくらでも挙げられるわけだし。

だから、今後あなたがそんな人たちを咎めようとして「分かってます。けれど、僕らは良かれと思って行動したんです」なんて返事があったら、それが言い訳にもならない理由を説明してあげて。意図して悪事をはたらくのは漫画のキャラクターくらいだよ、って。


訳注

スキマ時間を見つけては、勉強・練習も兼ねてネット上の英文を日本語に訳してみたりしている。最近は、昨年亡くなったプログラマー Aaron Swartz さんのブログを最初から訳してる。読んでいてハッとさせられること度々。

素人翻訳は淡々と続けていく予定なので、折を見て翻訳した内容をアップしていくつもり。今回はその第1段。故人である著者に翻訳の許可をもらうことはもうかなわないので無許可翻訳です。あしからず。


SNS と メールを区別できない人たち

無類のかき氷好きとしても知られる竹田圭吾さんがメルマガを始められたということなので、さっそく購読してみた。

冒頭の挨拶に続く【2. コメンテーターしごと日誌】かき氷5杯と参院選レビューの巻と題されたコーナーで、テレビ番組でのご自身の発言を紹介:

自分のコメントの番。いやいや、投稿はいい写真とかおもしろい写真とかもあるわけで、たんに承認欲求の現れ。バッシングはたしかに過激だけど、SNSで拡散が速くなっただけで、やってることは私たちの社会に大昔から存在することと変わらない。
ニュースの読み方 The Live vol.1 珠玉のかき氷と参院選レビューと<悪魔の代弁人>の号 > The Book Project 夜間飛行 | 受信箱に本が届く

おそらく、これらのニュースを「型にはめて」報じようとした制作サイドに反論する格好のコメントなのだけど、気になったのは以下の一節。

SNSで拡散が速くなっただけで、やってることは私たちの社会に大昔から存在することと変わらない。

確かにその通りで、「調子に乗ってこんなことしてやったぜ」自慢は今も昔も枚挙にいとまがない。けれど、昔だったら内輪に閉じてたはずの自慢を、なんでこうも簡単に発信者自ら SNS に出してしまうの?バカなの?死ぬの?

と思っていたら、こんな指摘が。

激しく同意。似てる→慣れる→区別つかなくなる、のループにはまって失敗した経験、誰しも1つや2つはあるはず。

偉そうなことは言わずに、大人は責任を果たそう

iPhone でいえば

  • メッセージ(標準アプリ)
  • LINE
  • ツイッターやフェイスブック

を区別して使えてる人ってどれくらいいるんでしょうね?段階を踏んでそれらを使ってきた20代以上と違い、全部いっしょくたに手に入れる今の10代にはそれは難しくなりつつあるのかもしれない1

よちよち歩きしか出来なかったから自分を含めた大人は危ない目に合わずに済んでるだけ。知らぬ間に高速道路に乗せられてる10代の中高生に、大きな顔をせずきちっとこの辺を説明し続ける責任を大人は果たせているのかな、と思ったりした。

幸い自分は息子に説明するまでにまだ時間があるから、油断せずに情報収集と準備をしておくつもり。


2013/08/08 追記

「彼らは馬鹿だから」で済ませちゃいけないのは間違いないけれど、正当法である教育での対処はその膨大さに早くもめまいが…変な規制やルールを持ち込ませないためにも、大人が意識高く持たないといけないってとこでしょうか2


  1. 地元の非公認キャラ活動の一環で中高生たちのツイッタータイムラインを眺めてみたのだけど、プロフィールに学校名、本名、自分の写真を載せ、ひたすらリプライを送り合ってる中高生が何人もいた。

  2. オチがないなぁ。結論はシンプルってとこでしょうか。


2013年7月に読んだ本

先月は7冊。うち漫画が2冊、雑誌が1冊、エッセイ本が2冊。先月は通勤時にずっと3分動画でマスターする初心者向けプログラミング学習サイト - ドットインストールの動画を見てたので仕方なし。今月はまとまった時間を作って本を読みたい。夏休みの課題図書は何にしましょうかね。

読んだなかで面白かったのは運と実力の間(あわい)―不完全情報ゲーム(人生・ビジネス・投資)の制し方―。ちょっと大げさな副題がついてますが、ビジネス・投資はまさに不完全情報ゲーム。日々そういったことと向き合っている方にオススメの1冊です。

harupongさんの本棚 - 2013年07月 (7作品)
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さて、今月は何を読もうかなぁ。