悪意の有無は無意味

Original: The Intentionality of Evil

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僕らは子どもの頃から、勇者が悪者から地球を救うストーリーの漫画(最近は、そんな漫画を元にした映画もよくある)を与えられて育ってきている。そのせいで、僕らが善と悪を白黒はっきり区別しすぎてしまう傾向があるってことは、もはや社会通念と言ってもいいくらいだ。世界はもっとあいまいなんだよ、と上から目線で諭されたりするわけで。けど、そんな漫画が持つ問題の本質はそこじゃない。問題は、漫画上の悪者は自分たちのことを悪者と認識してる、という設定にこそある。

それもあって、人々は「悪者は意図して悪事をはたらくんだ」と思い込んで成長していく。けど、それって全然現実的じゃない。意図して悪者になることが不可能なのかもしれないし、自分は善だと思い込む方が簡単で楽なのかもしれないけれど、ともかく、悪事をはたらいている、と意識してる人なんていない。悪者たちはみな、自分たちがやっていることが善なんだという根拠を胸に抱いている。みんな、自分は善だと思ってる。

そしてそれがもし事実なら、意図なんてものはどうでもよくなる。ウォール・ストリートの金融屋たちが「自分たちの仕事が貧困を解決するに違いない」とか信じて自分の仕事をやりました、なんて言ったところで何の弁明にもならない(最近、そんな話あったよね)。理由はもちろん、皆がそんな風に「自分の仕事をやりました」って思ってるから。Eichmannだって「自分の仕事をやりました」って考えてた。

こういった命題について、Eichmannほどぴったりな例はない。なんといっても、この類の話ではいつもHannah Arendtの本 Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil が決まって引き合いに出されるし。また、世のテロリストや殺人鬼の例に漏れず、Eichmannは世の中の常識と照らしあわせても真っ当・健全だったし、自ら理にかなってると考えたことを実行していたのだから。

そして、そんな真っ当な男がなし得るのだから、僕らだって同じようにできるはず。もちろん、彼らと僕ら、どっちがひどいか比べてみてもいいけど、僕らが責任を負うべきは自らの行動なのだから、そんな比較は無意味だ。少し考えれば、僕らが犯してきた世にも恐ろしい悪事の数々なんていくらでも挙げられるわけだし。

だから、今後あなたがそんな人たちを咎めようとして「分かってます。けれど、僕らは良かれと思って行動したんです」なんて返事があったら、それが言い訳にもならない理由を説明してあげて。意図して悪事をはたらくのは漫画のキャラクターくらいだよ、って。


訳注

スキマ時間を見つけては、勉強・練習も兼ねてネット上の英文を日本語に訳してみたりしている。最近は、昨年亡くなったプログラマー Aaron Swartz さんのブログを最初から訳してる。読んでいてハッとさせられること度々。

素人翻訳は淡々と続けていく予定なので、折を見て翻訳した内容をアップしていくつもり。今回はその第1段。故人である著者に翻訳の許可をもらうことはもうかなわないので無許可翻訳です。あしからず。