【翻訳】任天堂の危機

以下の文章は、John Siracusa さんによる Nintendo in Crisis の日本語訳です。翻訳をご許可いただきありがとうございました。

The following is the Japanese translation of Nintendo in Crisis by John Siracusa. Thank you Mr. Siracura, for letting me translate his writing.


任天堂の危機

Apple が絶体絶命だった16年前、その苦境を Apple 自ら打破するための案が、特に Apple 製品のファンたちによって、やまほど挙げられた。この思いを理解してくれる読者が何人もいるに違いないと信じた狂信的な Apple 信者によって、 Wired 誌1997年6月号象徴的な表紙 “Pray” が作られたりもした。十年後、Apple のことで気をもみながら90年代を過ごした私たちはようやっと胸を撫で下ろすことができた。同時に、Apple が新たに手にした力について少し落ち着かない気分にもなったりした。それくらい、ひどいアップダウンの連続だったのだ。

同じような愛着と信頼を、任天堂も得ている。Apple のように、任天堂もまた、失敗とそれに続く過去に例を見ないほどの大成功を経験している。とはいえ、任天堂の低調期は、Apple ほどひどくはなかった。Nintendo 64GameCube は、PlayStationPlayStation 2 に打ち負かされはしたが、当時倒産寸前、というわけではなかったし、自ら苦境を打破するために他社を買収する必要もなかった。

ところが今や、状況は逆転したようだ。Apple はスランプに陥りかけている(という解説ある)が、とはいえそれは、関係者の期待が噛み合わなくなりつつあるだけ、とも言える。Apple 製品はいまだ需要も高く、実によく売れている。一方の任天堂だが、最新ゲーム機の失敗は過去に例を見ないほどの規模になっている。また、業界関係者によれば苦境はそれだけにとどまらず、任天堂最大の問題は携帯ゲーム機市場にこそあるらしい

予想はしていたが、「成功を収め、かつ努力し続ける任天堂」が存在しない世界など考えられないという人たちは、任天堂を苦境から救うための真摯な提案 をせずにはいられないようだ。同じような衝動を抱いたので、ここ数か月五里霧中状態の Mavericks のレビュー書きから抜け出し、私自身の考えを記しておこうと思う。

シュレーディンガーのゲーム機

まず、任天堂が問題を抱えているという意見には私も賛成だ。ただ、解決策を模索する前に、より本質的な疑問、それを 救える のだろうか?、ということを問わずにはいられない。救いようはなくて、もはや時間の問題だ、という人もいるようだが、突き詰めればこういうことだと思う。つまり、「ゲームをするためだけに設計された機器」の市場が存在する限り、任天堂が活路を見出すチャンスはある、ということだ。

もし、そのような市場がなくなっていくのなら、最悪のケースを想定せざるをえない。長期間用いられる 汎用的な ソフトウェアのプラットフォームを作り出し維持していくための準備が、任天堂にはできていない。知ってのとおり、Microsoft、Apple、Google と、ごく一部の限られた企業だけが、それを成し得てきた。任天堂がそれら企業の仲間入りをするとは到底思えない。

ゲーム専用(もしくは主たる用途がゲーム)の機器の市場はまだあるはずだ。それが今後どれだけ続いていくのかは分からないが、最悪でも、各社の次世代ゲーム機の売り上げが現状維持に事足りる程度には続いていくに違いない。

この仮定が正しいとしたら、不調の渦に陥った自らを救い出すのに必要な手立てを、任天堂はもう持っている。それは一体何かって?任天堂がこれまでどうやってきたかを振り返ればいい。ハードウェアとソフトウェアが一体となって、斬新で楽しい体験を提供する、ということだ。

任天堂流勝利の方程式

任天堂にとって、テレビゲーム初の大成功といえばファミコンだ。1980年代のアタリショック以降、家庭用ゲーム機器ソフトだけでは任天堂が成功を収めるのは難しくなった。パソコンはまだ高価で普及するのはずっと先の話だったし、Atari-2600 のようなゲーム機を出そうとすれば懐疑的な意見が集中するだろうことも明らかだった。

そんななかで任天堂がうまくやるには、ハードとソフトの両方が必要だった。Atari のようなゲーム機はもちろん、ロボットとか?そう、それに加えて光線銃 も。ほとんどのゲームがこれら周辺機器を採用しなかったけど、ファミコン発売当初、これらが宣伝用途で繰り返し取り上げられたであろうことは疑いの余地がない。それらはただの飾りで、用をなすものではなかった。ただただ、ファミコンを各家庭に置いてもらうためだけに存在していた。家庭にさえ入ってしまえば、あとはチビでヒゲヅラの配管工を装った侵入者が怪獣の腹から飛び出し、歴戦のゲーマーたちをファミコンの虜にしてくれたからだ。

次に、話は変わって、任天堂初の 3D ゲーム機、Nintendo 64 について述べておきたい。すでに、セガサターンPlayStation が何年も前に発売されていたし、それらはカセットの代わりに CD を用いるという良い判断をしていた。当時の市場シェアは PlayStation が圧倒的であったけど、スーパーマリオ64Nintendo64コントローラーという強力な組み合わせで3D ゲームの分野に変革をもたらしたのは任天堂だった。ハードとソフトを見事に融合させ、それを現実にしてみせたのだ。

スーパーマリオ64は、優れた 3D ゲームのお手本となった。それは、Nintendo64 というゲーム機そのものの残念な結末を変えることは出来なかったけれど、ゲームソフトの発展に大きな一歩を残した。また、 任天堂が生きながらえたのは、まさにそれのおかげだったかもしれない。今日、アナログスティックのない 3D 用ゲームシステムを発売するのはあまりに馬鹿げた話だけど、1994年当時のセガとソニーは、まさにそれをやってしまった。Nintendo64 発表後、ほどなくしてサターンPlayStation にもアナログスティックが搭載された。後者などは、既存のコントローラーにとってつけたような仕上がりだった。なんてその場しのぎ!?(いやいや…)

そして、ようやっと Wii の登場だ。任天堂はゲーム機の性能を犠牲に斬新な操作方法と低価格を実現し、それらが生み出すメリットを知らしめるためのソフトも出した。過去の2機種でソニーに辛酸を嘗めさせられた任天堂が、ついにゲーム機市場トップの座を自らの手で取り戻したのだ。

ここに挙げたような実例は、任天堂がハードとソフトの両方を手がけていない限り、そのどれをとっても実現不可能なものばかりだ。歴代ゲーム機売り上げランキングトップ3のうちの2つであるゲームボーイDS については改めて説明するまでもない。ともかく、ハードとソフトのシナジーがなければ実現し得ないことだ。そしてそれこそが、任天堂流勝利の方程式だと言えよう。

レッドオーシャン

最近目にする任天堂への助言をひと通り読んでみたが、それらの大半は、携帯ゲーム機市場を iOS が席巻しつつある状況で如何に生き残るかを論じていた。これらのアドバイスを前回の任天堂の低調期に当てはめるとどうなったのかな、と思う。任天堂は iOS 向けゲームを作るべきだ、という声もある。勝てないなら仲間に入れてもらえ、ってね。

ゲームキューブが寿命を迎えようとしてたころには、ソニーはゲーム機とソフトの両方で過去十年に渡り、任天堂をはるかに凌ぐ実績をあげてきた。当時圧倒的シェアだったソニーのゲーム機向けに、任天堂もゲームソフトを作るべきだったのだろうか?そうすることで、Wii のような成功を任天堂は成し得ただろうか?そうは思わない。ゲームソフトだけでは、あのレベルの成功は達成し得ない。

ゲームソフト事業はとても厳しいものだ。当たるも八卦当たらぬも八卦、まさにハリウッドのよう。大半のゲームは赤字かトントンで終わる。恵まれていれば、数少ない大ヒットで残り全てを支えていくことになる。そうでなければ、前評判が高かったゲームを発売したゲーム制作会社がほどなくして倒産するはめになる。実際、そんなケースもないわけではない。(そう、 去年発売された最高のゲームのせいで 同ゲームの開発者は倒産するはめになった。)

合併や統合はゲーム開発界隈に当たり前になってしまっている。上述したような「数少ない大ヒットで残り全てを支える」ことが可能な超巨大企業が、小規模な開発者たちを日常的に吸収している。

そんな世界に、任天堂は自ら進んで入っていくべきじゃない。自ら生み出したゲーム機を離さず、その売り上げと、各社が作ってくれるゲームソフトの売り上げ手数料で利益をあげるべきだ。次のヒットのための「産みの苦しみ」期間に任天堂が入っているうちは、そういった手堅い売り上げ(それですら膨大かもしれないけれど)こそが自らを救うことになるのだから。

任天堂がしてくれないこと、iOS が引き受けますよ

自らの強みを忘れず、かつゲーム専用機の市場が存在し続けるとしても、任天堂が挑むべき課題は困難なものが多い。ゲームシステムそのものとしては iOS と競い合う必要はないとはいえ、やはりゲームに関係する部分では最低限遅れを取らずについていかなければならないわけだから。

今現在、ソフトの購入、インストール、使い回しのよさの点において、Apple は任天堂の遥か先を行っている。パソコン用ゲーム配信の仕組みである Steam にですら、任天堂のオンラインビジネスの取り組みは全く及ばない。自分で買った任天堂のゲームが、特定のゲーム機でしか使えないのにはうんざりだ。購入したソフトは、今後買うであろう次世代の任天堂ゲーム機でも簡単に使えるべきだ。任天堂のこれまでのゲームで遊ぶもっとも簡単な方法が違法なエミュレーター(唯一の方法かも。)であってはいけない。任天堂はこの辺りの事情を速やかに、うんと改善しないといけない。

販売チャネルの強さという点でも、Apple は上回っている。2人のチームがゲームを作って販売するような場合、任天堂のゲーム機向けよりも iOS 向けの方がはるかに容易だ。膨大な資金を要し、ルールも多く、制限された開発環境では、今どきのゲーム開発者は寄り付かない。任天堂は目を覚まし、App Store をじっくりと観察しなければならない。

Let’s-a-Go!

任天堂がその神がかり的な力を取り戻すには、多くのピースがうまくはまらないといけない。もう一度強調しておこう。「もし、ゲーム専用機市場がなくなったら、周知のとおりそれは任天堂にとってゲームオーバーに他ならない」。

けれど、もしゲーム専用機(携帯ゲーム機かどうかに関わらず)の出番がまだなくならないのだとしたら、任天堂がやるべきことはやまほどある。ゲーム絡みで iOS の方が得意としてることは、なんでも改善していかないといけない。自身のゲーム機を引き立てるようなソフトを作り出さないといけないし、それができないなら新しいゲーム機を作り出さないといけない。

それ以外の方向へ持っていこうとする「助言」は全てインチキだ。最大の持ち味を奪うような任天堂救済プランなんて、何の意味もない。任天堂は、自らが最も得意とすることに集中しないといけない。ハードとソフト、最高の組み合わせを生み出す、ということだ。これまで任天堂を救ってきたのはまさにそれだし、それのみが今後の任天堂を強く確かにしていくのだから。


初出公開: 2013年09月05日、 最終更新日: 2013年09月05日